京都ひろくに屋通信5月号
鴨川より東山を望む
八木一夫氏
清水焼発祥の地、五条坂近くで陶芸家・八木一艸氏の長男として生まれ、陶芸界に新しい造形分野を確立した八木一夫氏を今回の偉人として取り上げてみました。
京焼・清水焼とは京都の窯で作られる陶磁器全般を指します。約400年の歴史の中で原料や技法に制限はないがロクロも絵付けも手作業で行うことが唯一の決り事。
その昔、都である京都には国内外より多くの陶磁器が入ってきました。江戸時代の初め京都でも陶磁器が作られるようになり、茶の湯の流行も相まって茶人や公家に献上されるものにまで発展しました。
明治維新後、公家等の需要を失い打撃を受けるも大正時代に入ると地方での機械による陶磁器の量産がはじまり、職を失った職人が京都に集まり始め、高い技術で優れた陶磁器を作り出しました。又この時期、柳宗悦氏を中心に「民芸運動」が提唱され、優れた職人の手仕事で作られた日用品の中に「用の美」を見出し、活用することで伝承していくことを
目指し現在も活動が続けられています。
そのような時代背景の中、陶芸家の長男として生まれた八木一夫氏は一時は教職に就くも28才で陶芸に専念。日常使いの陶磁器を作る一方で、戦後ヨーロッパ等からの新しい芸術の流れに大いに影響を受け、陶芸による新しい造形表現を目指す前衛陶芸家集団「走泥社」を結成。
器として機能を持たない立体造形は「オブジェ焼」と呼ばれ現代陶芸史に新たな一ページを刻みました。その後国内外で数々の賞を受賞。オブジェ作品を作りながら生涯を通して伝統的な技術を継承すべく茶碗や壷の制作も続けられました。土への深い思いは八木一夫氏の言葉にも表れています。
「作品とは出来事のようにおのずと生まれ落ちたもの」
1979年60歳病気で急逝。※八木一夫氏の作品は「しぶや黒田陶苑」様のサイトでご覧いただけます。
URL:https://www.kurodatoen.co.jp/cp_lineupcat/kazuo-yagi/
※「走泥社」のメンバー、山田光氏、鈴木治氏、益田芳徳氏etcの作品は図録「走泥社35周年記念版作品集」に掲載されています。
納骨オブジェ 地蔵
静かな祈りを
72,600円(税込)
博國屋の手元供養品もいくつか清水焼のものがあります。作り手は1738年、清水焼の窯元として五条坂に開窯したのが始まりで、1928年に工房を五条坂から今熊野へ移し、登り窯を築き上げた「瑞光窯(ずいこうがま)」です。現在まで質の高い商品を提供し続け、手元供養の代名詞でもある納骨オブジェ「地蔵」も作っていただいています。
思わず手で包み込みたくなるような丸みのあるシルエットと優しい笑顔に癒される地蔵です。
見た目の印象と違い手に取っていただくと思いのほかずっしりと重みがあります。抱きかかえると安心感に包まれ、見ているだけで心が落ち着く等の声をいただいております。
ベージュ色、赤色、黒色の3色ございます。すべて手作業でつくり、天然の土を使っているので風合いが一点一点変わります。お顔もよく見るとちょっとずつ違い、個性が見えて愛着が沸いてきます。お地蔵さんには納骨用のミニ骨壷と納骨袋が付属しており、お地蔵様に内蔵できるので、大切なご遺骨を守ってくれます。
先日、「日本文化の入口マガジン」こと「和楽」様から、手元供養について取材を受けました、6月5日に和楽WEBにて公開予定です。
和楽WEBは国内外問わず、評価を得ている日本文化。その魅力を発信している、日本文化を楽しむことができるWEBマガジンです。そんな和楽様に、
博國屋の「手元供養」と「地蔵」についてピックアップして頂き、かなり詳細に「地蔵ができるまで」を紹介頂いています。ぜひご覧頂ければと思います。
タイトルは【大切な人の遺骨を傍に。新しい供養のカタチ「納骨オブジェ」って何?手元供養を支える思いを聞く】です。
※下記ホームページをチェックして頂ければ幸いです。
京都の樹木葬
滋賀県の櫟野寺樹木葬 櫟苑(らくえん)