京都ひろくに屋通信1月号

ピンク枠始まり

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こんにちは、ひろくに屋の松下です。本年もよろしくお願いいたします。2021年も始まり早1か月弱。私の今年の目標はディープな京都の開拓です。
京都市中京区にあります博國屋事務所が入っているビルでは、水道管が凍り水が出ないという緊急事態が発生。凍える年明けとなりました。皆様のところは大丈夫でしょうか。
京都の朝焼けの風景
京都鴨川から望む朝焼け
今年のひろくに屋通信は京都に所縁のある実業家、教育者、芸術家、作家等を毎月1人ピックアップしてその人物を辿る(足跡)記事を掲載していこうと思います。 先人が残された珠玉の一言をご紹介したり又、先人たちが好んだ京都の食べ物や場所も紹介していきます。 私自身も調べながら訪ねてみる楽しみが一つ増えそうです。 京都の町中には先人たちの住居跡や史跡に石碑やモニュメントがあります。その場所で過去の時代に戻ったり思いを巡らせていると不思議と頭がスッキリとしてリフレッシュすることができます。京都の町中には好奇心をくすぐるモノがまだまだ潜んでいそうです。ぜひどんな人物が出てくるのかお楽しみにして頂ければと思います。
京都平安神宮の風景
平安神宮
 
京の今日

本因坊(ほんいんぼう)発祥の地

博國屋は久遠院前町(くえんいんまえちょう)という場所にあり、事務所前の通りが「寺町通」です。この寺町通りには囲碁好きの聖地と呼ばれている「本因坊発祥の地」のモニュメントがあります。 そもそも寺町通りはその名の通り、秀吉の都市計画により洛中の寺院が集められたことに由来します。そのたくさんのお寺の中に「寂光寺」というのがあり、別名「久遠寺」と 言われていたそうです。その名残がこの町名として残っています。
本因坊発祥の地の看板
その寂光寺の塔頭「本因坊」に住んでいた僧侶「日海(にっかい)」という囲碁の名手がいました。江戸幕府が開かれると、徳川家康の命によって寺を弟子に譲って、本因坊算砂と改名し幕府の碁所を任されたそうです。 以降本因坊の名は囲碁界の家元となり世襲制で受け継がれてきましたが、真の実力者が本因坊を名乗るべきとして1936年選手権制の「本因坊戦」が誕生し現在まで続いています。
本因坊発祥の地のモニュメント
モニュメントは2009年に設置され、記念に今村九段と滝口九段の打ち初め式がこの碁盤で行われました
囲碁に詳しくはないですが、そんな私でも聞いたことのある名前の「本因坊秀作(江戸時代の囲碁棋士)」の言葉で「彼を攻めるには我を顧みよ」という言葉があります。 敵と戦うには、まず自分の長所短所をしっかりと把握しておき、それが自分自身を助けることにもつながるよ、それが重要だよという事だと思います。 本因坊秀作は御前対局にて19勝無敗の大記録を打ち立てたという記録が残っています。
まだまだコロナ禍で不安な日が続きますが、自分にできること博國屋としてできることをしっかり見極めて過ごしていこうと思います。
本因坊発祥の地の地図

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手元供養セット偲(しのぶ)

静かな祈りを

110,000円(税抜)

手元供養セット偲

ほとんどの方が初めて手元供養をされると思います。どのように供養したらいいのか、どこに置けばいいのかと迷われる方も多いでしょう。博國屋では手元供養品と飾り台、お香立てと花立、写真立てをセットにした手元供養セット「偲(しのぶ)」をご用意いたしております。

お地蔵さん3色

祈りの手箱

手元供養のお地蔵さんと箱型の供養台である「祈りの手箱」、その他写真立てお香立て一輪挿しをセットにした特別セットです。
横幅約30cmのコンパクトなフタ付きの供養台なので、場所も取らずスマートな供養ができます。 故人と対話するときに正面のフタを開け、故人の写真を見ながら供養して頂ければと思います。

手元供養セット偲の外観
手元供養セット偲の商品ページへ

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博國屋の手元供養

博國屋の手元供養品

上記でご紹介した手元供養品以外にも様々なタイプをご用意しています。ぜひご覧ください。

博國屋の商品一覧

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